古代日本は多民族国家 - kamishibai
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古代日本は多民族国家

古代日本は多民族国家。

現在でも多種多様なDNAが日本人の中には存在している。

秦氏はペルシアから来たという伝説もあれば、百済滅亡の時には、多くの百済人が文化を持って移住して来たという史実もあったり。

帰化人やら渡来人やら、いろんな言い方があったけれど、実際には日本人ほとんど外来種みたいなもの。

古代日本にはいろんなルートからいろんな民族が流れ着いて、そしてそれぞれにワ(村)を形成して暮らした。

そして民族が移住してくるたびに、縄文日本にはたくさんの植物がもたらされた。

 

最初に来たのが里芋と長芋。原産地は東南アジアのジャングル。

続いて来たのがコンニャク。インドシナ半島。

そのあと瓢箪と胡麻がアフリカ大陸から来て。

アワが東アジアから来ると、続いてヒエがアフリカ大陸から来て。

キビが東アジアから来ると、続いてソバが中央アジアから来て。

そのあとイネが天竺ガンジス川付近から大陸の揚子江付近をわたり、北九州に上陸したのでした。

 

日本古来の植物で食用にできたのはウド、セリ、フキ、ミツバくらいのもので、つまり現在食する植物のほとんどはもともとは外来種だった、という話でした。

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アワ(粟)をもたらしてワ(村)を形成したのが粟国(阿波)の一族。

キビ(黍)をもたらしてワ(村)を形成したのが吉備(瀬戸内)の一族。

イネ(稲)をもたらして分散するワを統合していったのが大和(ヤマト/おおきなワ)の一族。

この記事について

このページは、komusuiが2015年6月 8日 12:12に書いた記事です。

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